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梅本克己文庫

 

梅本克己文庫

梅本克己文庫
 
  著名な哲学者である故梅本克己の御家族から寄贈いただいた梅本氏のすべての蔵書2876冊、他にノートや書簡等がおさめられています。2009年4月に、これらを展示した梅本克己文庫記念館を開設、梅本氏の夫人・千代子さんを招いて記念式典も行われました。2017年の旧会館の取り壊しと目黒さつきビルのオープンとともに、労働資料館内にコーナーを設け、展示されています。
 
梅本克己氏年譜 梅本千代子編『梅本克己短歌抄』より
明治45(1912)年
3月26日、栃木県下都賀郡栃木町にて、父=鶴吉(明治14年3月23日生、区裁判所判事)、母=セツ(明治20年5月5日生、宇都宮市塙田町136、明治42年2月1日、鶴吉と結婚)の次男として出生。本籍地、神奈川県小田原市新玉4丁目557番地。
 
大正2(1913)年 1歳
4月22日、母セツ、死去。
 
大正3(1914)年 2歳
5月5日、鶴吉、中村マサ(明治21年7月1日生、神奈川県足柄郡岡本村塚原、中村藤蔵長女)と結婚。
 
大正4(1915)年 3歳
1月、鶴吉長女、数子出生(長野県下伊那郡飯田町上3497)。
 
大正5(1916)年 4歳
7月、鶴吉3男、正己出生(水戸市大町565)。
 
大正7(1918)年 6歳
4月、群馬県高崎南尋常小学校入学(一学期まで)。同月、鶴吉二女、満子出生(新潟県南蒲原郡本成寺町大字新保742)。
7月、本成寺小学校へ転校。
 
大正8(1919)年 7歳
7月、新潟県柏崎小学校へ転校。
 
大正9(1920)年 8歳
6月、鶴吉四男、由己出生(新潟県刈羽郡柏崎町住吉野1331)。
 
大正10(1921)年 9歳
4月、千葉県一宮小学校4年次へ転校。
 
大正13(1924)年 12歳
3月、一宮小学校卒業。4月、高等科進学。
 
大正14(1925)年 13歳
4月、千葉県立安房中学校入学。
 
昭和5(1930)年 18歳
3月、同校卒業。
 
昭和6(1931年 19歳
4月、水戸高等学校文科甲類入学。鶴吉、静岡県吉原へ転任。
 
昭和9(1934)年 22歳
1月9日、父鶴吉死去。3月、水高卒業。4月、東京帝国大学文学部倫理学科入学。9月より和辻哲郎の指導を受ける。
 
昭和12(1937)年 25歳
3月、同科卒業。卒業論文=「親鶯における自然法爾の論理」。
4月同大学院へ進学。
 
昭和13(1938)年 26歳
4月、文部省教学局に雇員として就職。・
 
昭和14(1939)年 27歳
8月、財団法人国際文化振興会編纂室に勤務。
 
昭和16(1941)年 29歳
秋頃、桐越千代子(大正5年3月22日生、東京市京橋区弥左衛門町1ノ1)と婚約。
 
昭和17(1942)年 30歳
10月28日、水戸高等学校教授発令。水戸市黒羽根町に居住。
 
昭和18(1943)年 31歳
5月16日、桐越千代子と結婚。水戸市東原、小林方に移る。
 
昭和19(1944)年32歳
4月、水戸市五軒町窪田敏男方に転居、さらに同市砂久保に移る。
 
昭和20(1945)年 33歳
4月、安井校長より授業取り上げられる。7月、水戸市袴塚に移る。8月2日早暁、水戸空襲。10月10日~10月14日、水高スト。同15日、安井校長退陣。同16日、関泰祐、一高教授より水高校長として着任。
 
昭和21(1946)年 34歳
6月、民主主義科学者協会水戸支部結成に参加。7月、8月始め、「人間的自由の限界」執筆、8月9日、和辻哲郎宛て発送。
 
昭和22(1947)年 35歳
「人間的自由の限界」(『展望』2月号)、「親鸞について―異端とは何か―」(『知と行』8月号、大東出版社)、「唯物論と人間―マルキシズムと宗教的なるもの―」(『展望』10月号)、「理想への両支柱―実存的課題とマルキシズム―」(『帝国大学新聞』10月2日号)。
暮頃日本共産党に入党。
 
昭和23(1948)年 36歳
「実存追求の場所―実存主義とマルキシズム―」(『思潮』2月号、昭森社刊)、「無の論理性と党派性―田辺哲学批判、特に第二次宗教改革の予想のために―」(『展望』3月号)、「唯物弁証法と無の弁証法」(『理想』3月号)、「批判と協同―小松氏の批評に対して―」(『理想』6月号)、「虚妄の実存―日本的抒情性の批判―」(『個性』7月号、思索杜刊)、「平和のための条件」(『次元』8月号、次元社刊)、『哲学の探求』(赤岩栄・真下信一編、河出書房刊)に「唯物弁証法と無の弁証法」再録。「主体性とニヒリズム」(『思索』8月号)、「主体性と階級性―松村一人氏の批評に答えて―」(『理想』11月号)、「弁証法的物質とその自覚の論理―松村一人氏の批判に答える―」(『理論』9月号)、「唯物史観と道徳―主体性問題によせて―」(『展望』9月号)、「作家への依頼」(『人間』10月号)、真下信一編『主体性論争』(白楊社、1948・10)に「協同と批判」再録、「唯物論と自覚の問題」(『哲学評論』12月号)、松村・梅本対談「唯物論と道徳―その現在の課題について―」(『哲学』12月号、思索社刊)。
9月26日、東原宿舎に移転。
 
昭和24(1949)年 37歳
「民衆に捧げる智識」(『自由の旗の下に―私はなぜ共産党員になったか―』三一書房刊、4月30日)、「唯物論的立場と観念論的立場―人間の変革―」(『思索』7月号)、「田辺哲学の弁証法」(『弁証法ノート』所収、潮流社刊)、「組織と人間―主体性論争の後に―(『理論』7月号)、「共産主義と暴力の根源―猪木正道批判―」(『展望』11月号)、「理論と実践の問題」(『哲学講座』Ⅰ『哲学の立場」所収、筑摩書房刊、12月)、『唯物史観と道徳』(三一書房刊、12月30日)。
1月、「社共合同」にさいし、党籍公然化。
 
昭和25(1950)年 38歳
『新日本代表作選集』第7巻『哲学思想篇』「ヒューマニズム」の項に「主体性とニヒリズム」再録(実業之日本社刊、2月)、「第三の立場」(『悲劇喜劇』3月号)、『唯物論入門』(アテネ文庫、弘文堂、3月25日)、「唯物論と歴史―或いは唯物史観と唯物史観―」(『理論』4月号)、「日本人としての自覚について―現代文明論のための覚え書―」(『人間』4月号)、「唯物論と無神論」(『理想』6月号)、「たった一つの美しいもの」(『愛になやみ死をおそれるもの―今日を生きぬく心―』理論社刊、11月)、『近代の思想』「ドイツ」(高桑純夫編、毎日ライブリー、12月)。
4月、水高消滅により廃職、レッド・パージ。7月14日、人事院公平委員会に提訴。9月、結城哀草果と大洗。作歌はじめる。
 
昭和26(1951)年 39歳
「大学教授の政治感覚―竹山道雄氏の『学生事件の見聞と感想』について―」(『人間』2月号)、「主体性論の現段階―その経過と今後の展望―」(『思想』3月号)、『現代哲学辞典』(出隆・柳田謙十郎編、岩崎書店刊、5月)「実存主義」の項目担当、「実存主義と共産主義」(『理想』9月号)、「三木哲学と唯物論」
(『思想』11月号)、「実践論―どう展開すべきか―」(季刊『理論』別冊学習版第一集、12月)。
初夏の頃、京都大学で講演。11月25日、お茶の水女子大で講演、「知性と良心について」。
 
昭和27(1952)年 40歳
「共産主義的人間の形成」(『唯物論者』3月号)、「文学の思想性―事実を写すということ―」(季刊『理論』8月号)。
2月4日、東京女子大で講演。同6日、教育大で講演、「知識人の課題」。
 
昭和28(1953)年 41歳
「弁証法的唯物論の伝統―毛沢東哲学理解のために―」(季刊『理論』3月号)、『人間論―実践論・矛盾論の研究序説―』(理論社刊、5月)、「書評、牧野周吉『西田哲学との対決』」(『思想』7月号)、「変革期の人間像」(『改造』11月号)。
 
昭和29(1954)年 42歳
『哲学入門―対話式入門講座』(三一書房刊、10月)。4月、立命館大学文学部教授として京都に赴任するも、発病のため10月辞任。
 
昭和30(1955)年 43歳
5月18日、清瀬療養所に入所。7月5日、第一回手術(左肺第三葉まで摘出)。

 
昭和31(1956)年 44歳
「始元の弁証法―価値論争の理解のために―」(4月30日、未発表)。
3月12日、第2回目手術(気管支瘻)。
 
昭和32(1957)年45歳
2月11日、第3回手術(左肺部全摘)。

 
昭和33(1958)年46歳
4月5日、退院し、水戸に帰る。5月18日、トラックにひかれ、骨折、約1カ月の入院生活を送る。
7月5日、水戸市赤塚町2ノ164へ転居。11月末より翌年7月にかけて、『アカハタ』に8回にわたり、エッセイを発表。
 
昭和34(1959)年 47歳
「書評、務台理作『哲学概論―人類ヒューマニズムと第三の立場―』(『思想』2月号)、「提言―思想のひろば―」(『思想の科学』3月号)、「史的唯物論における原因と動機―心理主義・多元主義・実存主義に関連して―」(『思想』5月号)、「マルクス主義者の自由」(『現代の理論』創刊号、大月書店刊、5月)、「自由とはどういうものか―岡本清一『自由の問題』によせて―」(『図書』5月号)、「書評―アンリ・ルフェーブル著『哲学者の危機―教条主義者との対決―』」(『週刊読書人』285号、7月27日)、「雑炊哲学の弁―森信成氏にこたえて―」(『現代の理論』第5号、9月)、「書評、山田宗睦著『現代哲学の設計―精神的生産論―』(『週刊読書人』9月14日)、「主体性への断章―フロイトにおける革命と反革命―」(『論争』2号)、『過渡期の意識―哲学とは何か―』(現代思潮社刊、11月)。7月、『現代の理論』事件にさいし、「私の疑問」と題する論文を『前衛』編集部宛に送るも、返送され、離党のきっかけとなる。
 
昭和35(1960)年 48歳
「主体性―戦後唯物論と主体性の問題―」(講座『今日の哲学』Ⅳ「人間論」小松摂郎編、三一書房刊、2月)、「実践論―ガルガンチュアの研究家にできることは何か―」(『東京大学新聞』403号、2月24日)、「現代における唯物論の問題」(『思想』3月号)、「偽善の道徳と真実の道徳―文部省道徳指導書批判―」(『教育』6月号、・国土社刊)。
 
昭和36(1961)年 49歳
「現代の人間像―八公おめえが死んでいる―」(『茨城大学新聞』89号、5月20日)、「マルクス主義哲学における修正と発展」(『現代のイデオロギー』第一巻、5月)、「社会科学とヒューマニズム―絶望と実存と実践―」(『中央公論』11月号)、『唯物論と主体性』(現代思潮社刊、11月)。
 
昭和37(1962)年 50歳
「『現在』の底への掘り下げ」(『週刊読書人』1月1日)、「断絶の中で」(『東大新聞』1月1日)、『人間論―マルクス主義における人間の問題―』(三一書房刊、1月)、「マルクス主義と近代政治学」(『現代のイデオロギー』第5巻、3月)、「書評、芝田進午『人間性と人格の理論―人閾性と疎外について―』」(『経済評論』4月号)、「書評、アンリ・ルフェーブル著『総和と余剰』」(『日本読書新聞』4月16日)、「マルクス主義と国家の問題―疎外論に関連して―」(『唯物論研究』11月号)、「抱き合せ論法の危険―六・一五集会、学生の暴挙非難声明をめぐって―」(『日本読書新聞』7月16日)、「歴史的認識と価値決定の問題」(『思想』9月号)、「福本イズム」(『日本読書新聞』12月3日)。
 
昭和38(1963)年 51歳
「如是経序品」(『日本読書新聞』1月1日)、講座『戦後日本の思想』第1巻「哲学」(梅本編著)に「哲学における前衛性の問題―哲学における人間と政治―」を発表(現代思潮社刊、1月)、「書評、問題群の体系―『グラムシ研究』I―」(『日本読書新聞』5月27日)、「ある落丁のステロ・タイプ―川上秀弘『梅本哲学批判ノート』について―」(『早稲田大学新聞』904~5号、5月30日、6月6日)、「疎外とたたかうものの疎外(『唯物論研究』6月号)、「青春の情念の分析―中岡哲郎著『若い日の生き方』―」(『日本読書新聞』6月10日)、「雑草という草はない」(『人間の科学』9月号)、『現代思想入門』(三一書房刊、10月)、「あるがままとなるがまま―『加藤正全集』発刊によせて―」(『日本読書新聞』12月2日)。
夏頃、水戸唯物論研究会結成、経済学研・党史研の2例会を1月1回ずつ開く。
 
昭和39(1964)年 52歳
「一月通信」を『日本読書新聞』に連載。(①「ヒューマニズムの実験」1月13日、②「年賀状のこと」1月20日、③「十を捨てて十一につく」1月27日、④「万事は大事にあらず」1月30日)、「現代の対話中ソ論争とマルクス主義」梅本・佐藤昇(『現代の理論』創刊号〔復刊〕、河出書房新社刊、1月)、「唯物論における主体性の問題―今日の時点で何が残されているか―」(『思想』3月号)『増補人間論』(三一書房刊、3月)、「巨人と庶民―山本周五郎氏の歴史小説による“対等”の勝負―(『日本読書新聞』4月13日)、「書評、柴田高好『マルクス主義政治学序説」(『図書新聞』7月4日)、「ちょっと気になること」(『太陽』6・7・8・9・10月号)、「書評、藤本進治著『革命の哲学』と現代」(『大阪大学新聞』10月10日)、「或る回想」(『中央公論』10月号)、「対談、革新思想の問題状況」梅本・佐藤・丸山(『現代の理論』10・11月号)、『マルクス主義における思想と科学』(三一書房、12月)。
 
昭和40(1965)年 53歳
「宇野弘蔵氏の批判に答える―理論と実践の結節点―」(『日本読書新聞』2月1日)、「ユートピア雑感―ユートピアとナショナリズム―」(『展望』3月号)、「思想の実験と理論の実験―マルクス主義と現代の課題―」(『世界』3月号)、「経済学の弁証法―日高普氏の批評に答えて―」(『思想』7月号)、「思想的連帯の根拠―今の時点での戦後20年―」(『世界』8月号)。
4月23・24の両日水戸にて丸山真男、佐藤昇とてい談。7月23日、昭和19年12月より同居中の千代子母、死去。11月5日、大洗にて宇野弘蔵と対談。12月18日、友人島田雄次郎死亡。
 
昭和41(1966)年 54歳
字野・梅本対談「社会科学と弁証法」(『思想』1・2月号)、「梅本・佐藤・丸山『現代日本の革新思想』(河出書房新社、1月)、「民主主義と暴力と前衛」(『民主主義の神話』現代思潮社刊、3月)、「人間わずか50年…―講談『桶狭間』と高村光太郎『道程』―」(『私の人生を決めた一冊の本』三一書房刊、4月)、『革命の思想とその実験』(三一書房、9月)、「国家・民族・階級・個人」(『展望』10月号)、「私の古典ー本居宣長『玉勝間』―」(『エコノミスト』11月29日号)。
 
昭和42(1967)年 55歳
「勇どんのこと―或る転生―」(『思想の科学』1月号)、「評論・三島形而上学への疑問1『英霊の声』にふれて―」(『文芸』1月号)、『私の古典―本居宣長『玉勝間』―』(毎日新聞社、5月)、宇野・梅本対談「『資本論』と『帝国主義論』」(『思想』5・7月号)、『唯物史観と現代』(岩波新書、9月)、「ひとつの拠点」(『世界』12月号)。
2月28日、大洗にて宇野弘蔵と対談。
 
昭和43(1968)年 56歳
「人間論の系譜と今日の問題状況」、「主体性の問題」(『岩波講座哲学』第3巻『人間の哲学』)、「思想の言葉」(『思想』3月号)、「労働力商品の特殊性―資本制生産の基本矛眉に関連して―」(『思想』5月号)、「戦後精神の基点」(きき手=しまね・きよし、『思想の科学』5月号)、「搾取の論理と収奪の論理」(『思想』9月号)、「どんな支援をあたえるのか」(『中央公論』10月号)、「革命的支援の論理」(『展望』一1月号)、「科学の客観性とは何か1降旗節雄氏の批判にこたえてー」(『日本読書新聞』11月18日)、「敵を知り己れを知る」(『展望』12月号)、「降旗節雄氏の反批判にこたえる」(『日本読書新聞』12月16日)。
 
昭和44(1969)年 57歳
「東大紛争―かくされた一つの問題―」(『展望』1月号)、「まず粉砕すべきもの―東大の場合―」(『展望』2月号)、「大学闘争と現代への挑戦―大学闘争における主体の論理と倫理―」きき手=安東仁兵衛(『現代の理論』2月号)、「東大闘争と知識人」(『朝日ジャーナル』2月16日)、「壊滅が訴えるもの―東大紛争をめぐって―」(『展望』3月号)、「形而上学の批判と認識論」(『岩波講座哲学』第18巻『日本の哲学』)『唯物論入門』(清水弘文堂、6月)、「イデオロギーの方法論的位置」、「唯物史観と経済学」(梅本編講座『現代マルクス主義』第2巻、日本評論社刊、10月)、「思想の言葉」(『思想』12月号)。
 
昭和45(1970)年 58歳
「何が返還されたのか―日米協同声明と私の見解―」(『世界』1月号)、「商品としての労働力とその矛盾―宇野弘蔵氏の批評に答えて―」(『思想』7月号)、「初期マルクスにおける疎外論の構造」(『現代理論』10~12月号(1971年〕1~3月号)。
 
昭和46(1971)年 59歳
「科学とイデオロギー―宇野弘蔵氏の批判に答える―」(『思想』8月号)、「何を革命するのか―党派の論理と革命の論理―」(『朝日ジャーナル』9月6日)、『唯物史観と経済学』(現代の理論社、11月)。.
『新いばらき』新聞(社長=遠坂良一)「哲学者・梅本克己氏の生活と思想」を6回にわたり連載、さらにこれをめぐる読者15人の感想文を連載し、日共の圧力で遠坂氏、社長辞任。
 
昭和47(1972)年60歳
『マルクス・コンメンタール』Ⅱ『経済学-哲学草稿』第三草稿コメント(細見英氏論文への)、梅本・遠坂対談『毛沢東思想と現代の課題』(三一書房刊、12月)。
2月23日、義母マサ、死去。4月、遠坂良一氏、東風社創立、月刊誌『東風』発刊、これに梅本・遠坂対談を連載。
 
昭和48(1973)年61歳
12月9日、新居(水戸市姫子2ノ753)に移転。
 
昭和49(1974)年
1月14日朝死去。小田原市の大乗寺に葬らる。
6月20日『唯物史観と現代』第2版(岩波新書)。
 
昭和51(1976)年
1月、宇野・梅本『社会科学と弁証法』(岩波書店)。
 
昭和52(1977)年
2月より『梅本克己著作集』全十巻、刊行開始(三一書房)。
 
昭和53(1978)年
6月同完了。
 

梅本克己氏の短歌

梅本克己氏の短歌
 
 
 此の子ひろふ木ノ実にまぢる小さき木の実(克己)
 
 大いなるいのちかなしもかなしみの重きにたえてなほ生きんとす(克己)
 
 「誰もおれに短冊かいてくれという者がいねえ」
 など申しまして書きちらした時のもので、酔眼の筆恐縮に存じます。
 短歌はアララギの結城哀草果師の人柄にぞっこん惚れこんだ感じで昭和二十五年秋入門いたしました。
 “梅本は短歌の世界に長くいないであろう”という師の御託宣通り続きましたのは二、三年のほどでしようか。
 俳句は岡田さんの句を大事にLておりました。
 「お前は批評が出来るのにどうしてそんなに句が、下手なのか、といわれた。呵々々」といった調子でございました。
 この度はかかる拙詠を故人供養のためとは申せ皆様にもらっていただきまして光栄に存じます。
 ありがとうございました。
  一九八四年一月十四日
    梅本 千代子
一般財団法人
日本鉄道福祉事業協会
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